合理主義的グルメブログ

学生起業家の日常をツラツラと書いています。主に食事情報です。

議論が好きな人間

たまには自分が普段考えている,概念的なことを書き起こしていこうかと思います.

最近思っていることは,「議論が好きな人間」がいるんだなぁって話です.

「議論が好きな人間」って何?

普通,なんらかの問題を解決することを目的として,議論をすると思います.
しかし,世の中には議論したいだけの人がいます.

そういう人たちは,問題を解決するってことよりも, 議論をしているのが,好きなんだと思います.
まるで,俺ガイルの玉縄くんのような人間です.

なんで議論なんか好きなのって考えるんですけど, 僕は2つの理由があると思います.

1つ目は,議論している姿に憧れているということ.
自分が知らない難しい言葉を使って,議論している姿は,人によってはカッコ良く見えるものでしょう. まるで,部活の先輩がカッコ良く見えるように,自分の持たないものに憧れるのは自然な姿でしょう.
なんでも格好から入るのが大事なので,調べて知った難しい言葉をすぐに使おうとします.
一般的に,このような人を「意識高い系」と呼ぶと思いますが...

2つ目は,自分のアイディアをひけらかしたいということです.
人間は誰もが,自分のアイディアが最も優れていると思います. そのこと自体は自然なことですし,自信を持つことは大事なことです. そしてその後ほとんどの人が気づくように,そのアイディアは大した事がないか,10年以上前に誰かが思いついています.
なので,段々と人は謙虚になっていき,思いついた時に,そのアイディアが優れていると思いますが,
同時にその検証をしっかりするようになります.
しかし,議論が好きな人はそんなことは知りません. ドラマのように,自分のアイディアを話した瞬間に場が静まり,誰もがそのアイディアを賞賛すると思っています. そして検証ではなく,舞台づくりに精を出し,「みんなで議論しましょう」という状況を作ろうとします. 本当はみんなの意見なんか聞く必要なんてないんです. なぜなら,自分のアイディアで方針は決まる(予定)だから.

でも議論は大事でしょ?

まぁここまで来て,「でも議論しないと話は進まないでしょ!」と考える人もいると思います.
でも本当にそうでしょうか?

個人的には,数人の組織なら,みんなで集まって議論することは有効だとは思います.
その程度の人数なら,全員の落とし所が見つけやすいからです.

しかし,10人を超えたあたりから,それは怪しくなるんじゃないかなっと思います.
そもそも,全員の希望を完璧に汲み取ることに,膨大な時間がかかるし, その落とし所を見つけるのは,かなり困難です.

だから,本気で自分の意見で問題を改善したいと考える人は,そんな正攻法は取らないと思います.
組織の重要人物を見つけ,その人を全力で説得すれば,だいぶ楽に意見を反映させる事ができます.

少なくとも,ある程度の勝算をつけてから,議論に望みます.
長くても数時間の議論で,数十人の人間を説得するのは難しいし, 事前準備をすれば,わざわざ蓋を開けるまで分からないリスクを取る必要はないからです.

なんの準備もなく,突然議論を始めるのは,時間の無駄だし, 数十人の人間を拘束してまで行うことではないです.
だから,僕はそういうことをする人を「議論が好きな人間」と呼びます.

まとめ

僕もゲームとして,議論すること自体は好きです.
なので,飲みの席などでは楽しい議論ができるでしょう.
しかし,それはただの娯楽でそれで誰かが動くとは思いません.

なので議論する事が目的ならないように,意識的に気をつけるようにしています. この考えは自分で思いつき,この考え方が最も優れていると思い,世界の真理だと思っているからですw